未来のお話
- 2010年06月15日
- Interview
加藤:ある60歳を越えた方にお聞きしたことで、1970年代以降、大手商社がものすごく海外へ出ていった時期があり、1990年代に入ってバブルが弾けて以降、2000年代結構、引き上げてきてしまっている。
新興国、現地の言語を話せる50代、60代の方は、ものすごくいる…。
江副:確かに、結構います、います。
言葉と現地ネットワークがある方が、今の若い人が立ち上げる会社の技術を、ある程度分かるリテラシーがあるのであれば、くすぶっていってないで、現地の法人をやってほしい。
日本は少子化だし、若い人の力は限られているから、シルバー年代の力を借りることも、1つの手だと思う。そうして、シルバー年代の力を借りて、海外進出すると、現地のリソースを使えますからね。広がりやすいような気がしてならない。
加藤:技術開発のコア部分、特許、ライセンスの部分だけを、まさに、イスラエルモデルクリティカルな部分だけを日本で持ち、ローカライズ、セールス、マネジメントとか、現地オペレーションに関しては、任せてしまう。現地でないとわからないことはたくさんあるので…。
いい技術を持っている会社は、日本にもありますからね。
江副:ただ、海外を見ていない日本の会社も多いから、あまり気にしないで、日々で満足してしまうのかなぁと。「来月の売上をどうしようか」に追われてしまっていて。
加藤:これだけ今期は利益が出ているから…。(笑)
「3年後、5年後どうしようか?」というところまでは…。
江副:海外を見てきた人が、ビジョンの描き方が違うのかも知れませんね。ただ、海外を見てきた人は、海外とどんどん仕事をしてしまうから、日本の企業の枠に収まらない。だから、日本だけでビジネスをしている会社へは転職していかないでしょうね。
加藤:私の周りの日本の方は、グローバルというか、考え方が柔軟な人が多いですが…。
江副:そういう人に会っているからでしょう。(笑)そりゃ…。
加藤:私は、同級生とかと話をすると、ローカルな話が結構多いですね。
江副:それが、大半じゃないですか。
もっと、日本の若い人が海外へ出て行って、帰ってくる仕組み、吸収する仕組みを作らないといけませんよね。出ていく人は、どんどん出て行くのだけど、帰ってくる道がない…。もう、そのまま行ったっきり。
たとえば、「日本へ帰ってきてどうやって就職するのか?」というと、日本は海外から帰ってきた人に対して査定が厳しい。鎖国文化が、まだ残っている気がしますね。
加藤:暗くなってきましたね…。
江副:実際、AeroScout 社で働いている時日本人で、米国へ出て行き、現地の会社でCEOをやっている日本人を見ました。
最初日本人とは知らずに米国にあるSI会社とお聞きして、「一緒に何かやりましょう。」とお話をしに行くと、社長が日本人。大学出て、海外へ飛び出して、そのままこっちでやっている。現在は、社員数が何百人になって…、そういう人を、4~5人は見ていますね。
そういう人たちと仲良くなって「日本へ戻ろうと思わなかったのですか?」とお聞きすると、その日本人は、
「市場は海外の方が広いし、日本に戻ったら、日本だけの市場になってしまう。それと、道が閉ざされやすく、可能性が減るじゃないですか。」
日本は、良くも悪くもそういう文化があり、一方海外は何の制限もなくできる。
イスラエルの企業は、みんなその感覚を知っていて、四国ぐらいの大きさに750万人ぐらいしかいないから、そもそも、国内の市場は信用していない。最初から、外しかない。(笑)
加藤:さきほど、おっしゃったハイファ、いわゆるグローバルなテクノロジー企業のR&Dの機能が集中している地域は、大きいですよね。
江副:知の集積。
加藤:グローバルに展開する企業は、開発思考もグローバル。たとえば、そういう企業で、数年働いた人間が、自分たちで起業する時、最初から海外展開の方法が分かっている。何か製品開発や営業展開していくときも同じ発想をしていかないといけない、と知っていることは大きいですよね。
江副:最初から、グローバルで始めようとしか思っていないでしょ。
加藤:日本の技術者と比べると、その差をヒシヒシと感じ…。日本の会社だと、極論、ある特定の会社の仕事だけ受け、その会社のためだけに開発をやる。
江副:日銭を稼ごうと思えば、派遣会社をやるしかない。だから、請負業務+派遣業という形になっていき、小さく収まっちゃう。仮に、IPOまで行っても、日本国内に留まってしまっている訳ですよね。あー、IPOがゴールかと…。
もっと、外貨を稼ぐ方法を考えた方がいいのに、国内だけで回そうとしている。
加藤:日本は、国内のお金が限られ、少子化、資源エネルギーも少ないわけですから…。頭脳をはじめとしたリソース、お金をもっと、国外のものを活用していかないとですね。