シリコンバレーでは、草分け中の草分け | Isratech / イスラテック

シリコンバレーでは、草分け中の草分け



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加藤:それでは、インタビューを開始します。石井さん、大学を卒業された後、メカニカル系のベンチャーを作られ、その後、IBMへ入られ、スタンフォード大学に入学。その後、マッキンゼーっていう流れですよね。

AZCA石井氏プロフィール

石井:ええ、まあ、そうですね。

加藤:マッキンゼーにいるときに、マッキンゼーだとできないことをやろうと思い、AZCA を立ち上げられた、ということですよね?

石井:はい、はい、そうですね。

加藤:AZCA設立、最初のとき、どういった点がやはり一番苦労されたのですか?

石井:こんなこと言うとインタビューにならないんだけど、実は、そんな苦労してないんですよ。アハハハハ(笑)。

加藤:ハハハハ(笑)。

石井:テープに録音しているから、「ちょっとそれは苦労していました。」と、言ったほうがいいかもしれない。(笑)

でもね、いろんな意味での苦労っていうのはもちろんありますよ。

加藤:助かります。

石井:僕が始めたときは、まあ、一応、3年くらいクライアントがつかなくても、まあ何とか飯食っていけるって状態で始めました。だから、気が楽だったっていうのはありますね。

「苦労は多かったんだけど、苦にはならなかった。」

マッキンゼーというと、大企業のコーポレートストラテジー(=企業戦略)をやるわけですけど、僕はその前に、スタンフォードに76年から78年まで留学生活をしていました。じつは高校のときに一年アメリカに留学していた経験もあります。

加藤:そうなんですね。

石井:ただ、スタンフォードに行ったこと、その時、「これからすごく技術というものが、経済を牽引していく」というのを強く感じていました。

それもあって、マッキンゼーの後半の3年間はロサンゼルス事務所だったんですよ。そのとき、改めて、「これからの経済というのは、イノベーションとか技術が、牽引力になっていくんじゃないか」と感じまして。

そうすると、やっぱりそういう新しい技術っていうのは、ベンチャーから出てくるから、まあ、シリコンバレーというフィールドで、新しいベンチャー企業も含めて、いろいろその支援をして、ベンチャー企業が成長すると同時にマッキンゼーのプラクティスも広がっていくというような部門、作ろうとしていました。

ところが、当時のマッキンゼーではまだそういった事ができなくて、結局、外へ出ようということで、ロサンゼルスからシリコンバレーに引っ越して、1985年、もう25年前ですか、AZCAっていうのをはじめました。

加藤:はい。

石井:だから、何が苦労って?

まあ、それぞれ、一所懸命ですからね。あまり苦労とか、辛いとか、そういう思いはほとんどないですね。気楽にというか、借金して始めた会社じゃないですし、その頃は、時期もよかったですからね。

加藤:1990年以前バブル景気前というのは、我々の世代はどうしても想像しづらいものがございまして、どういう感じだったのでしょうか?

石井:「時期が良かった」というのは、1980年代の後半、やはり日本経済がどんどんバブル経済へ、上向きで成長して行ったときでした。アメリカのベンチャー企業は一方で、インターネットバブルの前ですからね。

そうすると、資金調達が非常に重要なベンチャー企業はやっぱり日本へということになり…、日本へ行けばお金がつくと。

加藤:なるほど。

石井:戦略投資をしてもらえるんじゃないかと。

お互いニーズが非常にマッチした時期だったんですね。ということもあり、AZCAを始めて、ある日、ベンチャーキャピタル会社に、「AZCAってこういう仕事していますよ。日本のあの大企業とアメリカのそのベンチャー企業の戦略的な提携だとかそういうのをお世話しますよ。」と言ったら、翌日にはもう3社くらいから電話がかかってくる。そういう状況でした。

加藤:今だと、考えられない・・・。

石井:そういう時代だったんですね。だから、仕事がなくて、苦労したってことは、正直言って、最初の頃あんまりなかったですね。

加藤:そうなんですね。もし、設立が10年遅れ、1995年といったら、日本のバブルバブルがはじけてどん底。

石井:95年だとね、多分これは苦労していますね。(笑)

加藤:ですよね。

石井:で、そこがずいぶん違うかなあと思う。

加藤:マッキンゼーにいたから、そういうことやってみようと思われたのでしょうか?

石井:「マッキンゼーにいたから」というよりも、もちろん、マッキンゼーという場にいて、「そういう新しいことをやってみたい」って気はありました。ただ、むしろマッキンゼーでの枠組みでは、かなえられないという方が正確かもしれません。

それと、仕事の上での苦労という意味では、やっぱり日本のバブルがこけて、アメリカのいろんなベンチャー企業がですね、もう日本を相手にせずに、もうジャパンパッシングですね。どんどん直接台湾とか中国だとか行くようになる。

そういうふうになったとき、それまであったベンチャー企業が毎日のように電話かけてくると、いうのはなくなってきましたよね。

加藤:日本人の中で、シリコンバレーに多分20年以上在籍されていた方って、ほとんどいらっしゃらなくて、ものすごく貴重で…。

石井:少ないですね。

85年ですから、今から25年前。日系の人たちで、昔、戦前に移住して、お百姓さんになったとか、そういう人はいますよ。

だけど戦後、別に食うに困ったんではないけれど、あそこに行って「新しいことやってやろう」と、シリコンバレーに来た人。(→石井さんから見て)しかも、日米の間で事業展開だとかそういうことを専門的にやろうとした人たち、コンサルティングじゃなくても起業でも何でもいいんですけどね。

非常に少なかった。特に、日米の間での事業展開だとか、そういうことを専門にやろうっていう人達っていうのはもう、2、3人ですかね。だからそういう意味では、そういう中のまあ、草分け中の草分けですかね。(笑)

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