『シリコンバレーと、ほとんど同じだよね。』という印象。 | Isratech / イスラテック

『シリコンバレーと、ほとんど同じだよね。』という印象。



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加藤 : 1990 年代、辻様が日本とイスラエル間でビジネスを始められた経緯を、お聞かせ願えますか?

辻 : 1989 年までニューヨークにおりました。

米国で仕事をしていた当時は、Jewish 系の人たちと頻繁に、おつき合いはしていましたので、弁護士、企業のオーナーなど仲間が大勢いました。

帰国後、1991 年、湾岸戦争がありました。確か、日本は、自衛隊を派遣できず総計 135 億ドル(当時の日本円で約1兆3,000億円程度とされた)を拠出したとされます。湾岸戦争が終わった時に、ワシントン・ポスト誌の全面広告にクウェートが出した、『お世話になりました』という広告に、日本の名前が全然なくて…。

日本政府は、大変反省をしました。当時は、日本の国家的な傾向として、中東のオイルの供給が重要であり、当時、通産省(現:経済産業省)の資源派の人たちがいまして、アラブとは付き合うけど、イスラエルとは距離を置こうという、姿勢でした。

ただ、湾岸戦争以降、中東の平和に貢献には、アラブ側との接点だけでなく、イスラエル側との接点を新たに作らないといけない、という事になりました。そこで、いろんな障害がある中で、日本政府は経団連を中心として、経団連ミッションを派遣しようという事になりました。1992年、イスラエルへ使節団が派遣されました。

当時、経団連の事務総長の三好さんが、団長になり、大手企業に『イスラエルへ行きませんか?』と声を掛けてくださいました。『商社も電気メーカーも、参加しましょう。』という事になったのですが、出発が近づく頃になって、電気メーカーが相次いで抜けて行きまして…。

結局、参加者は通産省(現:経産省)の外郭団体の輸入協会の理事長と総合商社6社だけとなりました。しかし、商社でも大半は、海外業務、海外事業開発とか、業務系の方々でした。当時、私は日商岩井でラインの一課長でしたけど、『イスラエルは、中東のシリコンバレーだから…』ということで、積極的にITの事業に携わっている人間として、私が参加することになりました。

イスラエルは、初めてでしたけど、極めてアイオープニングな経験でした。

『シリコンバレーと、ほとんど同じだよね。』という印象。現地の主要企業を回っても、ITの企業が多いですから、会話ができる人が私しかいず、どこへ訪問しても目立ってしまいました。(笑)

帰国後、私も、新しい事が好きなので、日商岩井で『イスラエルと仕事やるべきだ』と、当時のマネジメントを、引っ張り出しまして…。『やろう、やろう』という事になりました。

94年ですが、日商岩井として事務所を開設する為、イスラエルを再度訪問しました。当時、現地では名刺を配ることを、ためらうような状況でして、私も『大量に名刺を配らないでくれ』と言う指導もありました。『それでは、店を作る意味がない』と思い、指導を無視することになりました。(笑)

そのような経緯の中で、当時の通産省畠山譲審議官及び外務省小和田恒(おわだひさし)次官より、『民間で日本とイスラエルの経済関係を促進するような組織を作ってくれないか?』という流れになりました。現在、日本イスラエル商工会議所の会頭をやられている藤原さん(三井物産OB)に声がかかりまして、当初は、JIBA(=ジャパン・イスラエル・ビジネス・アソシエーション)という組織を作りました。ただ、小和田さんから文化面の交流も入れていただきたいという事で、最終的にJICBA(=ジャパン・イスラエル・カルチャー&ビジネス・アソシエーション)という組織が設立されました。

その藤原さんが、実際の立ち上げのメンバーを招集する際、前述の経団連のミッションで最も積極的であった日商岩井、その派遣メンバーの私に声が掛かりました。本会設立後、会員を募集しながら、イスラエルとのビジネス拡大の為の啓蒙活動をしていました。

96年、故アモス・ガノール駐日大使の時代、『商工会議所に格上げすべきでは?』との話になりまして、旧通産省の許可を得まして、今に至っています。歴代の駐日イスラエル大使には、商工会議所の名誉会頭にご就任いただいています。

加藤 : 結構、偶然が重なっていますね。

経団連のミッションがイスラエルへ行く際、もし、辻様が手を挙げなかったら、今の状況はなく、商工会議所に入る事もなかったのですね。

辻 : そうですね。

当時は、一介の課長でしたから、積極的に手を挙げるという事ではなかったのですが、偶々、私の NY 時代からの上司だった役員(前任の社長)が、米国に10年以上も生活されていましてイスラエル事情にも大変詳しく私を推薦してくれたものです。

加藤 : 後藤様ですか?

辻 : いやいや、違います。

齋藤紀雄さんという方です。後藤さんは、欧州総支配人のとき、私が引っ張り出して、あの方も非常に感受性の強い方で、『イスラエル、やろう、やろう』とおっしゃっていただいた方です。

元駐日大使のモシェ・ベンヤコブ氏は、私がイスラエルへ行くと、必ず空港で出迎えて下さいます。同大使も、年に何回か来日されますが、その都度食事をご一緒して親交を温めています。過去、日商エレクトロニクスでは、イスラエル企業数社投資しましたが、全てがうまく行ったわけではありません。

YAPPAのように、全てを Take Over(=買収)してやる根性があれば、よかったのですが、そうではなく、米国の企業と付き合うような感覚でやっていました。

イスラエルの企業に対しても、当たり前のように幾つかの課題について開発をお願いしましたが、その開発が、完了しない間に、資金ショートしてという事もありました。

今も、イスラエル企業おつき合いしています。ラド・グループという十数社の企業グループ(2010年6月の時点で14社)ですが、二人の兄弟が起業した会社ですね。

ちょっと経緯の説明が長くなりましたね。

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